今日の市町村
- 奈良県 下北山村
- 三重県 熊野市
- 和歌山県 北山村
- 奈良県 十津川村
- 和歌山県 新宮市
- 和歌山県 紀伊勝浦町
- 和歌山県 太地町
- 和歌山県 古座川町
- 和歌山県 串本町
飛び地の北山村
今日は、下北山村から熊野川に沿って本州最南端の串本を目指します。下北山村の桑原郵便局で旅行貯金をしました。東京から来たと話すと。飴を5個もくれました。とてもうれしかったので記載しておきます。
下北山を抜けると次の市町村は北山村です。下北山村は奈良県(上北山村も奈良県)ですが、この北山村は和歌山県です。なおかつ日本で唯一の飛び地の村になります。接する県は奈良県と三重県になり、和歌山県とは接していません。北山村は林業が主産業で、切り出した木材を筏にして熊野新宮に奉納の形で納める「筏師」の村です。村の半数以上がそういった仕事をしていたので、和歌山県の新宮との関わりが切り離せない事情があったようです。
熊野川
紀伊半島を流れる熊の側は、周りの山々が急峻なのと対照的に極めて穏やかに広い川幅の中を流れていきます。「瀞峡」という景勝地もあるように、とても静かな流れです。北山村の「筏師」もそうですが、熊野川の流れを「道」の代わりに使うことも多かったようです。京や大阪から熊野詣をする山道も「熊野古道」として整備されているのですが、途中から熊野川を利用して船に乗り換え新宮詣をするケースも多かったそうです。
紀伊山地は、海岸近くまで続きます。山道が終わるとすぐに海に到着します。
橋杭岩
ココ普通の景勝地だと思っていたのですが奥が深かったです。まず成り立ちですが、地下で固まったマグマの一部が、隆起して地表に現れたものです。最初は1枚の板のような形だったものが、岩のもろい部分が波などにより削られ、今のような橋の杭のような形状になったそうです。また浜に転がっている多数の岩は削り落とされた岩です。橋杭岩の間にもともとはあったものです。転がっている岩が橋杭岩から離れたところまで分散している理由は、数百年毎に繰り返し起きる津波で流されたからだそうです。
一つ一つの岩を調べるといつ流されたかがわかるそうで、津波の発生周期を分析することで、南海トラフ地震の研究に役立てているそうです。